対蹠地

飛行機の移動だけで丸3日かかった。飛んでいた時間はもっと短いけれど、乗り継ぎの時間がとても長かったためかなりの時間を要した。

 

今回はアムステルダムブエノスアイレスサンティアゴを経由した。この中で最も街並みを見てみたいアムステルダムでの乗り継ぎが4時間と短く、空港から出ることができないので残念だった。

ブエノスアイレスでは全く時間がなかった。間に合うかかなりギリギリだったけれど通過成功。

サンティアゴでは、一度入国手続きをする必要があり、ここから先は日本からサンティアゴ便とは別のチリ国内便での移動であったため、成田で預けた荷物を一度ピックアップする必要があった。入国審査は無事通過し、荷物も全く問題なし。しかしながらチリ国内便までは12時間耐えなければならなかった。国内便のチェックインまでは9時間あり、一時荷物預かりカウンターは場所がないからと断られた。大きな荷物とともに12時間をただ耐えなければならなかった。荷物はカートに乗せて移動できるが、カートがトイレに入らない。また、売店にも入れない。結果、トイレなし、水分補給・食事なしの12時間だ。前回4時間でも結構しんどかったけれど、倍である。正直不安でしかない。

 

飛行機の中で考え事をしていたし、まだ眠気もあったのでとりあえずベンチで時間を過ごすことにした。出発ゲートから離れたところではベンチもかなり空席があったので横になる。充電ができればなあ、とは思ったけれど横になれるだけマシだ。2つのザックのヒモをそれぞれの手で握り、目を瞑る。気づけば1時間経っていた。荷物もあるし、大丈夫そうだ。

結局これを9回繰り返した。膀胱はまだ余裕があったし、空腹には慣れている。日々のダメな生活に少し感謝した。

 

その後チェックインの手続きは済ませたが、荷物を預けるまで長蛇の列ができていた。並んでから支払い完了まで1時間半くらいかかっていた。本当に間に合うのか、一人だと不安も倍増する。近くにいた同じ飛行機に乗るドイツ人の若者ともそう話した。

 

最後の飛行機では、真っ赤に染まる地平線を目にした。日の出前にその光で起こされた。日本で見たことがないくらい濃く赤く、上空は濃い青が広がっていた。

 

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約2時間後、プンタアレーナスに到着した。長細いチリの南方の町である。パタゴニアへ訪れる人々はここを拠点にしたりする。11月末に日本に帰ってから1ヶ月しか経っていない。あまりに早い帰還で少し引いている自分がいた。しかし、帰ってきた。

 

車窓に広がる風景が暖かく迎えてくれている気がした。

東京

まだ日本を出ていないが、今回の観測が始まった。

 

1月4日。

準備しておいた書類を印刷。

置いておいた荷物を回収。

皆さんに挨拶。

個人の荷物は用意していたので問題なく出発できた。

 

1人で行くということで、すべての旅程に余裕を持たせていた。お陰でどの便が遅れてもフレキシブルに対応できるが、順調に進むと待ち時間が長すぎる。それはわかっていたのに、初日の今日、家にいても研究室にいてもやることがなくなってしまい、空港へ向かうことにした。

言い訳をすると、急にドカ雪になったりして空港へ辿り着けなくなるかもしれないと考えていたが、全く止まることなく順調に空港へ到着した。まだチェックインもできないくらいに早い。

 

時間が有り余っていたので、念のために残している文章をゆっくりと考えることができた。家族と友人と恋人に宛てたものだが、今のところ何度かアップデートを経ている。アップデートと言ってもその都度書き換えているので構成は大分異なっているが、内容はさほど変わらないようになってしまった。今回はなぜだか、書き上げたときに不安が胸を覆い、感情が混沌としていた。

 

かなりの時間を要したようで、気がついた時には既にチェックインができるようになっていた。荷物を預けて、保安検査も早々に済ませた。国内便は慣れたものだ。

 

 

この飛行機がすべての旅程を終え、私の住む街へ向かう便だったら良かったのに。2ヶ月前はこんなこと考えてはいなかった。心境の変化が明確すぎて戸惑ってしまう。今回の渡航では以前の渡航に比べてさらにレベルアップできる。それをわかっていて尚、マイナスの思考に囚われてしまう自分がいる。うまく考えられない。

 

ひとまず東京に着き、宿へ向かう。初めてのカプセルホテルだ。9hという名前で、「近未来的」らしい。暗闇の中に光るカプセルが並ぶ景色を見ると、なるほど確かに近未来的だ。それぞれのカプセルに人が入っていると思うと不思議な気分。自分のカプセルに入ってみると、思っていたより広かった。窮屈さを感じさせない広さだが、ちょうどいい安心感があった。東京であることを忘れさせてくれる。

 

明日の朝もそこまで早くはない。さっきまで考えていた不安も、心の奥の方へ沈んでいった。どうか沈んだままで。

純ではない銀

3㎝ほどの棒を叩く。錆びた塊に棒を打ち付けて、アトランダムな模様を写し取る。自分ではその模様を作れないから、盗む。素材の美しい質感と引き換えにその美しい模様を手にしたというのに。対極の美をどちらも手に入れることができてしまうのはずるいように思える。

 

まっすぐな棒に力を加えて曲げていく。目標は円。円はイデア界のものであって、我々はその概念を認識することはできるが手にすることはできない。だが、できるだけ近づける。切り口が円に模した図形となっている棒に押し付けて曲げる。最終的に少し重ねて螺旋を作る。螺旋の切り口を揃え、輪を作る。螺旋の切り口を溶かすと、切り口が繋がり輪になった。我々の目にはこれが円に見える。本物の円を目にしたら区別がつくのだろうか。

 

叩いて叩いて円を大きくする。初めは優しく叩く。大きくなってくれるように優しく叩く。少しずつ力を強くする。少しずつ円は強くなる。どんどんどんどん叩いて、均等に力を加えていく。ひとまず息を置いて、試す。そしてまた叩く。叩いて叩いて円を大きくする。何度も何度も繰り返し叩いて、すっかり強くなっている。

 

叩いて強くなった円を磨いていく。ずっと続けていると円は消えるみたい。消えないように、でも美しくなるように、磨く。黒が出て行くのは美しくなってきている証拠。磨きすぎると消えてしまうけれど、途中で止めると光を放つ。

 

あまり光を放たせたくないから、磨いたというのに傷をつける。光を放ちすぎない謙虚な感じ、美しい。

 

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完成。

始まり

気が付けばもう新しい年が始まっていた。

 

このブログを始めることにしたのは感情や行動の記録に意味を見出したからだ。昨年11月に毎日を記録していて、その重要性に気が付いた。以前から重要なことは忘れてしまわぬように記録をしておくことはあったのだが、こんなに頻繁ではなかったし、誰かがそれを読むことなど想定していなかった。ただの殴り書きや思いついたことをただただ残すだけだった。自分で読み返すことすら滅多にしなかった。11月の記録はそう言った意味で初めての試みだった。自分以外の人のために書く自分の行動と感情の記録。

 

行動は比較的楽だ。行ったことを時系列に沿って書き連ねれば良い。重要なポイントとそれを支えるものを残せば尚分かりやすい。

問題は感情だ。ある行動をした時に抱く感情は、すぐに記録をしないと正確な感情を失う。また、書き留めるのが早すぎると一次感情のみに支配されてしまい、自分の中で重要な項目が分かりづらくなる。ただ、一次感情を書き留めておけば後で見返した後に考えることで自分の感情や普段の考え方を理解しやすくなる。

11月はひたすらそう言ったことをしてきた。

 

そこで気が付いたのだけれど、私はスタートを考えることが多い。いつから自分の習慣は始まったのだろう、今やっていることのきっかけとなった出来事はなんだっただろう、自分の好きなことも、何をきっかけにして好きになったのだろう。頻繁にそう考えていたのだ。

ただ、そんなことをよく考えているが、たいてい記憶の彼方であるから断片が残っていたとしても全体像は正確に再現できない。このことからも、やはり記録することは重要であると言える。

 

ちょうど今日、自分と周りの行動基準の違いについて話をしていた。それに対する社会の流れについても考えることがあったし、最近自分自身と周りの乖離は甚だしいから主張が激しくなってしまう。考え方においても行動においてもどちらも同程度に激しく乖離が進行しているように思える。できるだけ周りの考え方を理解して私の外側だけでも順応しているように生きるようにしているのだけれど、なかなか感情を殺すことができない。とは言ったものの、世界に順応してしまった考えもあり、気持ち悪い部分が出てくることが最近になって多くなってきた。何も感じず考えていた自分の考え方の基準が、よくよく考えてみるとその考え方って自分の理想とは大きくかけ離れているのだ。

 

私自身はストイックに生きられない。今いる業界に性格が合っているとも、能力が見合っているとも思えない。社会の歯車になって、クリエイティブな仕事には関らないで生きていければ所謂一般的には一人前に、そして幸せに暮らすことはできるだろうと思う。じゃあなんで離れないの?って、答えはわかっている。私はその人生では満足できない。

 

向いている向いていないで考えていないで、やりたいやりたくないで動いてみることにした。

 

これまで発信には苦手意識があった。自信のないことが原因だが、それならば慣れるまで発信するしか方法はない。自信のない者が主張するものではないと思っていたが、そんなことでは育たない。自信がないものこそ主張していけば周りに叩かれる。それによって基礎が固められていくに違いない。

 

自分の能力に見合っていないのだから黙っていろというのはあまりに横暴だと思うし、発展途上のものこそ面白さがある。だからこそ自分にもそれを適用してもいいじゃないか。

 

今年はできることを増やしていく。書く力は偉大だ。

微睡み

すっかり疲れた彼女は私の腕の中で眠ってしまった。

 

夕暮れはとうに過ぎ、カーテンの隙間からは冷たい空気が流れてくる。名前を呼んでみる。音楽を流し、部屋の照明をつけてみたり、少し頭を撫でてみたりする。しかし寝息は止まない。無理やり体を起こしてみればそりゃあ目が覚めるだろうが、寝覚めが悪いことは間違いない。可能な限り気持ちよく起きて欲しい。だけれど自然に目が覚めるまで待つわけにはいかない。ひとまず腕を逃しベッドを降りた。

 

そうだ、紅茶の香りで目が覚めるかもしれない。香りの強いマスカットのフレーバーティーがあったはずだ。ケトルを火にかけ、炬燵に入る。横を見ると、まだ夢の中にいるようだ。ファインダー越しに覗いてみる。耳のピアスが髪の中から存在感を放っていた。ケトルとシャッターの音だけが響いている。それにしてもこんな無防備を晒していいのだろうか。

 

愛しさに耐えきれず手の甲にキスをする。全くもって変わらぬ寝息。同じことだろうと思い、唇を覆う。ほんの少しだけ寝息が変わったようだ。

 

ケトルの蓋がカタカタと音を立てていた。その音に反応したのか、唇に違和感があるのかわからないが寝返りをうっている。しかし名前を呼んで頭を撫でても、まだまだ夢の中から出てこない。

 

ティーバッグを入れ、お湯を注ぐ。マスカットの香りが心地よく広がる。夢の中にまで届けばいいのだが、様子は変わっていないように思える。一人で飲む紅茶は何か違う。そう思い、布団の中に招かかれた。

 

炬燵よりも暖かい体が私を迎えてくれる。まだ夢の中にいる彼女を抱きしめると言葉にならない声を発した。思う存分頭を撫でさせてもらうことにしようか。さめるまではまだかかるから。

鈍血

スッとした鉄の匂いで目が覚める。頭で考えるよりも早く体が起き上がっていた。昨日洗濯したばかりの枕カバーには500円玉くらいの跡が見える。どうやら右の鼻から盛大に出血しているようで、悠長に辺りを眺めていたらさっきまでは無事だった寝間着にも血が垂れた。久しぶりの休みだったのでもう少し寝転んでいたかったがそうもいかなくなってしまった。洗面所へ向かうと枕カバーと同じ色の線が引かれている私がいた。そういえば頬が少し冷たい。血の匂いで反応できるのが起き上がるところまでだなんて、少し自分が嫌になる。

 

物心ついたころには既に鼻血を出しやすいことがアイデンティティとなっていた。いつどこにいても私の鼻からは血が流れたし、皆不思議に思いながらも当然のように扱った。そんな私を知っている家族は大好きなチョコレートをあまり食べさせたがらなかった。祖母の家に行くと好きなだけチョコレートを食べることができたから、溜まった欲を満たしていた。結果、久しぶりに会う祖母を困らせていたけれど、鼻血を気にせず好きなものを食べられるのが幸せだった。

 

枕元のティッシュを鼻につっこみ少し待つ。キーゼルバッハというところを 押さえているとだんだんと止まる。もう何度繰り返したことかわからないが、よく飽きもせず鼻から出てくるものだ。たまには他のところから出てきてもいいのに。心が弱っている時に出やすいんだったと、毎回出血を迎えてから思い出す。休みはなかったけれどそんなに疲弊していたようには思っていなかった。湯船の中にいるように、流れるお湯の中で考えを巡らせる。そういえば最後に湯船に浸かったのはいつだっただろう。もう2か月は浸かっていない。単調な生活だし、毎日が記憶に残らない。

 

目を開けてみるとシャワーのお湯の中にまた血が混じっていた。床に付着した赤色は湯に溶け薄くなって排水溝へ押し流される。少しのぼせてしまったのかもしれない。せっかく洗い流したのにまた汚れてしまった。腹にも壁にも付着している。一気に面倒になってしまった。青い蛇口をいっぱいにひねる。ぶるっと震えはするものの、冷たい水は私を救う。

 

ふとこんな話を思い出す。手首を切りたくなってしまうという人は自分の中に流れる血を見て安心をするらしい。あらゆる状況で鼻から流れる血に対処してきた私からしたら至極羨ましく感じられる。私もこれまで数多くの自分を傷つけたくなるような出来事に出会ってきたが、この、血を流しやすい鼻のおかげで処理の面倒くささが勝ってしまう。けれど手首に傷がないというだけで、冷水を浴びている私も同類なんだろう。掌の赤い文様は追加された更なる赤で歪められていた。

 

随分と長く冷水を浴びていたのか、寒くなってきた。体は冷えてきていることだし、赤色はだいぶ落ちただろうか、と鏡を見ると鎖骨のあたりにいくつか残っている。こんなところにも飛ぶんだな、と擦ったけれど取れない。お湯を当ててこすって取れない。血は皮膚の中にあった。出血しやすいのは鼻だけではなかったみたいだ。消えかかっている跡は余計に寂しさをくれる。数日前に会ったばかりだったはずだけど。

 

鼻血が止まったら、電話をかけよう。そうして、再び青い蛇口をひねった。