港町

港町が好きだ。辺りに響くエンジンの音、潮とガソリンの混じった体に染みつくような匂い、遠い水平線の近くに輝く波と船。心を穏やかにさせてくれるもので溢れている港が好きだ。

 

私の生まれた街には海がない。だから当然港もなかった。あそこにあるのは家ばかり。だからだろうか、同年代の友達も数えきれないくらいいたし、同じ学校の同級生も当時から全員は覚えていなかった。大きな街へもすぐに行くことができて不自由はしていなかった。だけど、どこへ歩いても人がいた。一人になれる場所が欲しかった。

 

坂道が好きというと珍しいねと返されることが多いけれど、港町が好きな私は坂道も好きだ。海の近くには坂道が多い。生まれた街には海がない代わりに坂道はたくさんあった。多くの人は傾斜が苦手というけれど、それは歩く時の身体の疲労が苦手なのだろう。坂の下から見上げた時に迫りくる街の景色も、坂道から見下ろすと目の前に広がる船と海の重なる景色も、どちらも好きだ。そんな私にとっては両脚の疲労など取るに足らないものである。

 

生まれた街は海のない街ではあったけれど、川は在った。特に河原が広い大きな川が好きで、河原からずっと広がっていく草原を見て黄昏を独り占めしたりしていた。冷たい風が海を想い出させてくれる。匂いは海とはかけ離れていたけれど、それでも眼前に広がる空はこの育ち切った社会を少しの間だけ忘れさせてくれた。この街に住む人々はわざわざ河原を訪れたりなどしない。

 

高校は自宅からそれほど離れていなかったので自転車で通っていた。まっすぐ伸びる大きな道路を通れば急がなくとも30分程度で到着する。毎朝毎朝大量の自動車が大きな道路を流れ、必要以上のモノを運んでいく。あまりこの道を通りたくはなかった。排気ガスか、自分の横を急ぐ車たちが感じさせる圧迫感か、そう感じさせる原因ははっきりとはしていない。できるだけ住宅地の中か河原を通っていた。大きな道路を避けると少しだけ気分が落ち着く自分がいた。河原と坂道を通りたいがために回り道をして自転車を漕ぐことも稀ではなかった。

私の通った高校は高台の上にあった。門をくぐった後は坂道になっていて、みんなゆっくりと上っていく。裏手の門の中には坂道が好きな私でも自転車で上るのが苦しくなるほどの傾斜が待ち構えている。朝起きてから鬱蒼としていても、この坂を上った後には、疲れのおかげでどうでもよく思えてくる。他の坂のようにみんな嫌がってはいたけれど、私は少なからず感謝していた。

 

親元を離れ移り住んだ街には坂が無い。生まれた街とは違い、少し足を延ばせば海があるけれど、この場所は港町ではなく、所謂都会だ。街の中心付近に住んでいるだけあって人々が嫌がる傾斜は排除されてしまっているし、道路も碁盤の目状に広がっていて面白味がない。大学へは歩いて5分なので、毎朝自転車に乗っていた貴重な30分も失われてしまった。ここでもどこへ行っても人がいて、逃げ場がない。空もとても狭く、水中にいた方が上手く呼吸ができる気がする。

 

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辿り着いたこの街には港がある。さらに言うと港しかない。道路すらない。木で造られた橋のように見える小路が人々のつながりを支えている。実際に支えているのは明らかに船だが、この小路によってこの街は成り立っている。この街には道路がないから私の好きな坂道がない。高台の上に登るにも、木造の小路から延びる階段で上る。これはこれで嫌いになれない。地球の裏側のこの小さな港は、穏やかな心で溢れていた。

 

長い間共に旅をした仲間たちはまた海へ出た。小さくなっていくエンジンの音を聞きながらゆっくりと瞼を閉じた。